エモ録

感情、思索

舞台『あさひなぐ』感想

2017.5.30舞台『あさひなぐ』ライブビューイング参加してきました。覚えてるうちに記録。とは言え思うところも多すぎるしまとまらないので、キャラやキャラの関係性で特に気になった部分だけ。

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原作漫画と舞台化

そもそも舞台自体ほとんど触れたことないし、漫画の舞台化が云々と語る立場にないが、『あさひなぐ』という作品は全体的に私の心を打ちまくるし、剣道の経験があるので、なんだかんだ似た文化の多い薙刀には共感性も高い。

舞台では時間的制約もあって、原作よりもキャラを端的に記号化するし、必要に応じてセリフを少し弄ったりする。原作改変なのだが、感動の再現性という意味ではこちらが合理的。すごい。

全体としては良い再現度だったと思う。実際の薙刀扱いに比べると舞台向けに優雅だし動きも1/4ぐらいの速さだけど、登場人物を見た瞬間に知覚するイメージがあまりにも原作に近く、原作者のこざき亜衣先生が驚かれるのもわかった。

 

 

宮路真春と東島旭

なんといってもここの関係。

原作では熊本東高校の戸井田奈歩という炉火純青の存在に魅せられることを始め、コート上で純粋に強さを追い続ける側面のある真春だが、舞台では当然戸井田への言及はなく、ただただ旭の理想の先輩として描かれていた。実際、いつも決して逃げない旭が目を背けようとしたのは舞台では真春の敗北だけ(?)ではないだろうか。強さを追う個人ではなくチームの柱、旭の知る世界では最強の実力を持つ先輩だと記号化されているのだから、その敗北が旭にとっては脳内世界を根本から崩すものだったことは想像に難くない。

個人的に、この変更はメリットとデメリットを生んだと思う。

2点のメリット

真春を倒した一堂寧々を倒すことで、旭が真春を超えるほどに成長したと描きやすい。

旭を通して一堂寧々の幻影と対峙し、敗北を克服するという真春の成長が描きやすい。

(個人的な)デメリット

原作178本目『追憶』における重要な要素が失われる。(正直舞台には関係ない)

 

第16巻収録178本目 追憶

『追憶』では二ツ坂高校薙刀部の中で部内戦が行われ、旭はひさしぶりに真春と全力で勝負をつけることになる。全てを巻き込み強さを追求しずいぶんと実力をつけた旭と、対照的に我が道を往き孤高の強さを目指す真春の戦いは白熱する。結果は真春の勝ちだが、真春が「強くなったね。旭」と嬉し気に微笑むシーンがある。このシーンが好きで好きで仕方ないのだが、重要な要素とはこのシーンに絡むものである。

 

真春は孤高の強さを探求する。

奈歩も孤高の強さを探求し、真春以上の強さを持っている。

だから真春は奈歩に魅せられるわけだが、これは「憧れ」ではない。純度の高い強さを求める真春は本気で勝ちにいく、つまり「勝負」を求めるのである。だからこそ尊敬や崇拝を嫌い孤独を選んだ奈歩のほうも真春を認める。

 

そんな関係なので、真春は自らを鍛える時は常に奈歩を追う。その視界に旭の存在はない。だからこそ「強くなったね。旭」という台詞は輝いているのだと思う。旭が弱かったことなど一度もないと精神的強さを認めた上で、実力の面でも、薙刀を始めた時から面倒を見ている子が育ったというだけではなく、真春の視界外にいた旭が真春にとっての「勝負」の世界に飛び込んできたという意味を多分に含んでいるのだと思う。(個人的な見解です)

長くなったが、この関係性は真春が部内にしか目を向けていない舞台の設定では成立しえないものであり、それを寂しく思ったというだけである。

 

寒河江

そう、寒河江純である。私はこの寒河江純という人物が非常に好きなのだ。実力に見合わないから恥ずかしいと周囲の目を気にして野心を隠してチームのための自己犠牲に身を投じているうちに、ほぼ自分の意志を失っていたが、あるきっかけを得て自分の在り方を探求し始め「周囲の目を無視してでも勝ちたい」という強い冬夏青青の自己にたどり着く、そんな女が。

これを衛藤美彩が演じているのだから、もう世界が怖い。

上を目指すも結果が伴わず永く自分の存在証明を問い続けることになり、自分なりの在り方を見つけたころに突然結果に報われる、乃木坂でも有数の苦労人と称される衛藤美彩が演じているのだから。

 

しかし、舞台では寒河江純がこの英華発外の方針転換が描かれることはない。髪をばっさり切った姿が描かれることもない。オトナの事情というやつである。

 

ただただ、寂しい 

 

八十村将子と東島旭

この2人の関係性も興味深かった。

関東大会東京都予選会~部内戦を通して、162本目『上段の君、三度』で描かれるような旭の強い意志に触れた将子が自らの心の弱さ・未熟さを思い知り、あらためて旭を横並びのライバルだと捉えなおす、そんなくだりが原作で描かれる。

舞台ではそれが描かれないので将子と旭はライバル関係とは言いにくい関係にあったんだと思う。将子はギャグ性が高く、感情の高ぶりに任せて怒鳴り散らかす人物という記号化をされていた。だからこそ自分の弱さに気づく成長シーンとして、試合に負けて自分の弱さに対して咆哮するシーンが描かれていたんだろうね。

 

寿慶

キャラとしても好きだし実際強いしかっこいいんだけど、真琴つばささんが格好良すぎる。宝塚のトップ男役に尼僧役やらせるってもう何が何だかよくわからなかったけど、演技がかっこいいのはもちろん、舞台上での所作がいちいちかっこいい。すごかったね