漫画あさひなぐ 23巻感想
漫画『あさひなぐ』23巻をようやく真面目に読んだので備忘録。
23巻は各所で各人にとって気持ちを切り替えるタイミングになっているみたいですね。大きくわけて5つ。
1.やす子と真春—「じゃあもういいよ、戻ってこなくて」
23巻のテーマは「人生を通して薙刀と付き合う」ということ。
後述する河丸摂の薙刀もそうですが、野上えりが高校卒業後は薙刀を(おそらく)続けないように、今の薙刀はどこまで続いていくのかを考えるきっかけになるポイントですね。
やす子は、かつての後輩であり現在は出雲英豊高校監督の天羽静子(旧姓:山吹)との過去を語りましたが、過去に「勝負の世界から逃げた」ことを理由に薙刀から身を引きました。ただ、やはり薙刀を好きな気持ちを持っている人間は形は様々ながら何故か薙刀と関わることになるのだ、というのが結論のようですね。
「じゃあもういいよ、戻ってこなくて」
「今の先生見たら、そりゃあその山吹って人もムカつくだろうからね。」
過去を割り切ることのできないやす子を真春は突き放します。言い残して真春が去ったあと「今更どのツラ下げて会えってのよ。」と、戻りたい気持ちを零すやす子先生はきっと戻ってきてくれそうです。
山吹先生は、意外と過去を引きずっていなくて、もう一度本気で戦う場として監督同士の戦いを挑みたいだけなのかも。
2.河丸摂と旭―「私が、勝ちました...!」
試合中
摂の過去が明かされます。薙刀を始めたきっかけ、キク先生の教え...
脇構えからスネ→旭の受け→一気に八相へ引き戻し小手
喘息持ちの身体ゆえに、旭のような戦い方ではなく、動じずムダのない戦い方(「引き算の戦い方」)を習得した摂は簡単に一本先取。
とぎ澄まして、とぎ澄まして、一瞬を捉える戦い方に驚きつつも、自分のやり方で勝つしかないと猛攻をしかける(「足し算の戦い方」)旭ですが、試合時間終了間際に摂に異変が。
喘息の発症ですね。旭は異変に気付くものの、摂が脇構えを取って攻める姿勢を見せたことをきっかけに、上段で真っ向勝負を選択。
キク先生との思い出を胸に
「試合場の中でたった5秒間、私は世界で、一番強い人になる」
決意をした摂が、一瞬、一呼吸だけ鋭い眼光と気迫を見せて勝利。
試合後
敗北後、旭は何ひとつ摂に届かなかったと呆然。さらに、体調不良を理由に摂が以降の試合を棄権したことを知り摂のもとへ。そこで初めて、摂の薙刀に対する姿勢を知ります。
旭らのように薙刀を通じて世界を拡げるのではなく、静かに目の前の相手だけを見つめて一試合一試合にすべてを注ぐような薙刀を人生でずっと続けていきたい。そう語る摂は旭に高校卒業後も薙刀を続ける気はあるかと問いますが、一歩一歩だけを見てきたから先のことはわからないと旭は答えます。
では薙刀は好きかと問う摂に、旭は即答します。ならばまたどこかで会えると言い残し、摂は去っていきます。
それを背負いつつ、勝負の中にすべてを注ぎ込める人間が強くなっていく世界のようです。
3.國陵引退試合—「私たちはチームだった。」
國陵高校3年生の引退試合ですね。大会的には、団体決勝。
試合の結果どうこうよりも寒河江純がスゴいので、結果を先に。
的林 引き分け
桑川 一本負け
三須 引き分け
寒河江 引き分け
一堂 二本勝ち
勝ち数を稼げなかった的林に、たまには三年に華を持たせろと言いつつ桑川が敗北。一本取られるも寒河江の気持ちが通じたのか引き分けに持ち込む三須。必死で戦うも引き分けに終わる寒河江。結果的に、負け越しで大将の一堂にすべてを託す形で二本勝ち。優勝。
國陵高校は、自分たちはどのようなチームであるべきなのかを自問し続けたチームでしたね。
寒河江は、自分の力量では上を目指せないからと自身の貪欲さから目を背けていたところに一堂寧々の刺激を受け、戦い方を変えた。
的林は、一堂に勝てないことを自分の弱さの言い訳に使い続けるのをやめ、自分の弱さを向き合った。敵対心はないことを告げ、一堂に歩み寄った。
後輩に勝敗を委ねるやり方に劣等感を持っていたけれど、寧々の旭への敗北を通して、全員向いている方向も抱えている想いも同じだったことに気づいたチームでした。
歪な勝ち方でもなんでもなく、ただそういうチームというだけだと気づくのに時間をかけてしまっただけ。
それを受け入れた寒河江の成長はすごい。まっすぐに自分を見てうなずく寧々の背中を叩き、笑顔ですべてを託す姿は恐ろしいほど感動的でした。
どうしてもっと早く気づけなかったんだろう。引退間際になって良い感じになるなんて寂しいなあ。そんな気持ちで溢れてるんでしょうね。そういう人間は次のチャンスをきっと逃さないし、これからも成長を続けていくんだと思います。見習いたい。
「最後まで後輩におんぶにだっこよぉ。」と嬉しそうに語る寒河江純の顔に全てが表れていました。
4.夏之・乃木進太郎編
夏之にとっては、今まで苛まれてきた過去の経験を払拭する戦い。
旭にとっては、勝負から逃げない男になった夏之に心揺さぶられる回。
進太郎にとっては、男子薙刀拡大の努力が報われた回になりました。記録には残らなくても記憶に残る、なんて自虐していたところに賞状が授与されるなんて薙刀連盟もなかなか粋なことを。
5.次巻へ
色々動き出します。
旭は夏之への恋を自覚する。
部活としてインハイ優勝を誓いなおす。
真春のケガとその心境は如何に。
やす子先生の行方は。
次巻からとうとう最強、熊本東が動き出しますね。楽しみです。
舞台『あさひなぐ』感想
2017.5.30舞台『あさひなぐ』ライブビューイング参加してきました。覚えてるうちに記録。とは言え思うところも多すぎるしまとまらないので、キャラやキャラの関係性で特に気になった部分だけ。
はやく漫画買いそろえたいね。アマゾンで在庫切れてる
原作漫画と舞台化
そもそも舞台自体ほとんど触れたことないし、漫画の舞台化が云々と語る立場にないが、『あさひなぐ』という作品は全体的に私の心を打ちまくるし、剣道の経験があるので、なんだかんだ似た文化の多い薙刀には共感性も高い。
舞台では時間的制約もあって、原作よりもキャラを端的に記号化するし、必要に応じてセリフを少し弄ったりする。原作改変なのだが、感動の再現性という意味ではこちらが合理的。すごい。
全体としては良い再現度だったと思う。実際の薙刀扱いに比べると舞台向けに優雅だし動きも1/4ぐらいの速さだけど、登場人物を見た瞬間に知覚するイメージがあまりにも原作に近く、原作者のこざき亜衣先生が驚かれるのもわかった。
宮路真春と東島旭
なんといってもここの関係。
原作では熊本東高校の戸井田奈歩という炉火純青の存在に魅せられることを始め、コート上で純粋に強さを追い続ける側面のある真春だが、舞台では当然戸井田への言及はなく、ただただ旭の理想の先輩として描かれていた。実際、いつも決して逃げない旭が目を背けようとしたのは舞台では真春の敗北だけ(?)ではないだろうか。強さを追う個人ではなくチームの柱、旭の知る世界では最強の実力を持つ先輩だと記号化されているのだから、その敗北が旭にとっては脳内世界を根本から崩すものだったことは想像に難くない。
個人的に、この変更はメリットとデメリットを生んだと思う。
2点のメリット
真春を倒した一堂寧々を倒すことで、旭が真春を超えるほどに成長したと描きやすい。
旭を通して一堂寧々の幻影と対峙し、敗北を克服するという真春の成長が描きやすい。
(個人的な)デメリット
原作178本目『追憶』における重要な要素が失われる。(正直舞台には関係ない)
第16巻収録178本目 追憶
『追憶』では二ツ坂高校薙刀部の中で部内戦が行われ、旭はひさしぶりに真春と全力で勝負をつけることになる。全てを巻き込み強さを追求しずいぶんと実力をつけた旭と、対照的に我が道を往き孤高の強さを目指す真春の戦いは白熱する。結果は真春の勝ちだが、真春が「強くなったね。旭」と嬉し気に微笑むシーンがある。このシーンが好きで好きで仕方ないのだが、重要な要素とはこのシーンに絡むものである。
真春は孤高の強さを探求する。
奈歩も孤高の強さを探求し、真春以上の強さを持っている。
だから真春は奈歩に魅せられるわけだが、これは「憧れ」ではない。純度の高い強さを求める真春は本気で勝ちにいく、つまり「勝負」を求めるのである。だからこそ尊敬や崇拝を嫌い孤独を選んだ奈歩のほうも真春を認める。
そんな関係なので、真春は自らを鍛える時は常に奈歩を追う。その視界に旭の存在はない。だからこそ「強くなったね。旭」という台詞は輝いているのだと思う。旭が弱かったことなど一度もないと精神的強さを認めた上で、実力の面でも、薙刀を始めた時から面倒を見ている子が育ったというだけではなく、真春の視界外にいた旭が真春にとっての「勝負」の世界に飛び込んできたという意味を多分に含んでいるのだと思う。(個人的な見解です)
長くなったが、この関係性は真春が部内にしか目を向けていない舞台の設定では成立しえないものであり、それを寂しく思ったというだけである。
寒河江純
そう、寒河江純である。私はこの寒河江純という人物が非常に好きなのだ。実力に見合わないから恥ずかしいと周囲の目を気にして野心を隠してチームのための自己犠牲に身を投じているうちに、ほぼ自分の意志を失っていたが、あるきっかけを得て自分の在り方を探求し始め「周囲の目を無視してでも勝ちたい」という強い冬夏青青の自己にたどり着く、そんな女が。
これを衛藤美彩が演じているのだから、もう世界が怖い。
上を目指すも結果が伴わず永く自分の存在証明を問い続けることになり、自分なりの在り方を見つけたころに突然結果に報われる、乃木坂でも有数の苦労人と称される衛藤美彩が演じているのだから。
しかし、舞台では寒河江純がこの英華発外の方針転換が描かれることはない。髪をばっさり切った姿が描かれることもない。オトナの事情というやつである。
ただただ、寂しい
八十村将子と東島旭
この2人の関係性も興味深かった。
関東大会東京都予選会~部内戦を通して、162本目『上段の君、三度』で描かれるような旭の強い意志に触れた将子が自らの心の弱さ・未熟さを思い知り、あらためて旭を横並びのライバルだと捉えなおす、そんなくだりが原作で描かれる。
舞台ではそれが描かれないので将子と旭はライバル関係とは言いにくい関係にあったんだと思う。将子はギャグ性が高く、感情の高ぶりに任せて怒鳴り散らかす人物という記号化をされていた。だからこそ自分の弱さに気づく成長シーンとして、試合に負けて自分の弱さに対して咆哮するシーンが描かれていたんだろうね。
寿慶
キャラとしても好きだし実際強いしかっこいいんだけど、真琴つばささんが格好良すぎる。宝塚のトップ男役に尼僧役やらせるってもう何が何だかよくわからなかったけど、演技がかっこいいのはもちろん、舞台上での所作がいちいちかっこいい。すごかったね
「ひらがな全国ツアー2017」けやき坂46大阪レポ&備忘録
長きにわたる就活もさすがに終わりが見えてきたかという今日この頃。
多様なコンテンツを通して世間や自分、周囲の人間を見つめなおす時期に差し掛かっております。日々深く考え事をするようになり、そろそろ心の動きを備忘録として残したいと考えるようになりました。
ところで昨日、縁あって欅坂46のアンダーグループ『けやき坂46(ひらがなけやき)』の初単独ツアーZeppNamba公演に行ってきました。
「ひらがな全国ツアー2017」大阪公演感想
結論から言えば、エモい。
漢字欅ですらメンバーの顔を数人知っているだけという中で、ひらがなけやきに関しては長濱ねる以外の存在を知らないまま突撃した初邂逅となりました。
顔も曲も活動も知らないグループの予期せぬライブを見た自分が何を考えるのかとそう思いつつライブが開演。
最大限エモくなった時に光りものがないのは辛いのでとりあえず公式甘え棒は買っといた。すぐ使ったので買ってよかった。
オープニングムービー
前回公演で今公演に向けたパフォーマンスの習得を課されていたというオープニングムービーがスタート。タップダンス習得に向け練習するメンバーたちの映像の途中で、「努力するだけじゃダメ」の文字がスクリーンに映し出され...
ここで涙。
知らないグループの知らないライブの知らない課題のメイキング映像で、涙。
曲が流れる前から、涙。
努力するだけではダメ。
タップダンスの練習成果に限った話ではない。アイドルという不安定な身分に身を置き、まだ知名度の低いグループで技量、自信、友情、競争を通じてどれだけの人に魅力を感じさせるか、その結果が大事。努力する姿を見て認められるという事もあるけれど、努力自体ではなくそれだけの努力を生む「本気」が認められるに過ぎないのだろう。努力なんて大前提の世界だと思うと、美しくも恐ろしい世界。
実際に披露されたパフォーマンスの完成度は素人目にはわからないし、個人的にはどうでもよかったとまで思う。東京公演で本当に初耳の課題を投げられたのだとしたら練習初日の不安はどれほどだっただろうかと想像すると、人前に立って差し支えないレベルに至ったというだけで十分だった。何せパフォーマンスはおろかライブの成功経験すらほとんどない状態である。素晴らしい話だと思う。
ひらがな曲・MCなど
わからない。メンバーも曲も知らないまま来ただけだから。
ただ、
これから活躍する未来を見据えた期待。
ステージに立って輝くことへの情熱。
公演の成功に対する不安と緊張。
そんなものがあるんだろうなあと思いつつ、これは逆に何も知らないまま来たからこその考察なんだろうなァとしみじみ感じ入った。曲と演者が把握できなくても、漂う心情や表情というエモーショナルなものは伝わってくるものなんだという新鮮な発見がそこにあった。自分の推しタオルを見つけた時の顔などを見ていると、傍目には気持ち悪いオタクにしか見えない者の応援がステージ上で大きくも小さくもある女の子たちを元気づけているのだから素敵な話である。
ただ、「好きな関西弁は『そうなんや』です」へのレスポンスはフゥーでもフォーでもなく「そうなんや~」だと思う。せっかく大阪会場だしそれぐらいの気概を見せてくれよな。
漢字曲
漢字欅の表題曲はさすがに知っていたので、数曲あったのを十分に楽しむことが出来た。漢字欅の曲になると会場が一層沸き立つのを感じた。それをひらがなメンバーはどう受け止めているんだろうな、なんてことを考えていた。
単独公演で自分たちの曲よりも先輩グループ曲のほうが盛り上がるという話。もちろんサプライズ的要素での盛り上がりもあるだろうし、本人たちもただ楽しく大好きな曲を歌っているに過ぎないのかもしれない。そもそも、グループが拡大初期なのだから有名な曲で客を掴みに行くというライブの1構成でしかないかもしれない。
でも、いつか自分たちだけの表題曲で先輩グループの曲よりも盛り上がる日が来るなら、この日との対比でより素敵なワンシーンになるに違いないと想像を膨らませた。
W-KEYAKIZAKAの詩
なんてこと考えていたらこの歌である。
自分の考えが甘かったことを知る。グループ同士を対比ではなく対立概念として論理展開していた未熟な自分がいたことを知った。
欅坂 けやき坂
絆っていいね 坂組だ
なのである。さまざまなロクでもない現場に行ったけれども、人生をかけた地位の流動性が存在するアイドルグループについてはあまり考えたことがなかったのでこれはなかなか興味深いなあと思う。
この時点ではほとんど知らないグループなのだが。
まとめ
色々と思索していたらあっという間に終わったライブであった。倍率も知らないが、知らない知らないと連呼しているこんな不勉強はチケットの取れなかった推しに怒られるかもしれないが、まぁ、ファンが1人増えたと思って許してほしいものである。
Zepp Nagoya公演は予習・勉強を重ねて絶対に参加しよう、そう決意した1日になった。
知らない顔だったが、お見送り会とやらで近くで見た顔は確かに可愛かった。すごいね